綴られた言葉集 その1

綴られた言葉集

 看取り、介護、死に関して綴られた言葉を抜粋、引用してお届けするページです。お届けする文章はあくまでも管理者が個人的に選択した部分です。綴られている本のタイトル、著者、発刊年、出版社と本の値段がわかるようになっていますので、ご興味を持たれた方はご自身でご自身の「綴られた言葉集」を編集してみてください。

『がん哲学外来から広がる言葉の処方箋 いい覚悟で生きる』

樋野興夫 2014年刊行 小学館 1400円

「がん闘病は患者さんと家族、どちらにとっても長い道のりになることがほとんどです。今まで気づかなかった家族の弱さも強さも浮き彫りになります。がんになったせいで迷惑をかけていると自分を責める患者さんだからこそ、家族にたくさんの気づきを与えているのです。自分ができないことがあることで、それを支えようと誰かが協力する。お互いの弱さや足りなさを補いあうことで人間として大きく成長していきます。」p173

『大切な人を看取る作法』

大津秀一 2014年刊行 大和書房 1500円

「病院は病気を治すことは得意でも、寿命を迎えている方を穏やかに看取るという点ではあまり向いていないことが少なくありません。」「『死が近い方』に適した医療は『そうではない方』に適した 医療とは異なるのではないかということがさらに知られてきました。しかしそのような方にどういった医療が最良であるのかは、世界的にも試行錯誤の途中ではあります。」p14-15

『在宅医療が日本を変えるキュアからケアへのパラダイムチェンジ』

中野一司 2012年刊行 ドメス出版 1200円

「看取りができたということは、何もせずに“見殺し”にした(キュア志向)ということではない。むしろ慢性疾患や障害を抱えても、最期(死ぬ)まで在宅(地域)で生きることを、医療的に支援できた、ということである。」p97-p98

『看取りの医者』

平野国美 2011年刊行 小学館 552円

「身近に病人を知っていると、親族に限らず病気の人に対する想像力が培われるし、病人への理解や同情や配慮も生まれやすい。また人間は健康なときばかりでなく病気で寝込むこともあるという現実を、身を持って知ることが出来る。」p185

「常に自分の死を想う者は、他者の死を想う。他者の死から学ぶものは、自分の死についても学ぶ。」p186

「在宅医療と在宅死の理想は、家族という共同体の中で“自然”な死のプロセスをたどることである。親族の介護と看取りが、子供たちに与える影響と教育効果は、おそらく何ものにも代えがたいものであろう。それは死にゆく人にとっても、安心感と誇りをもって他界へ旅立つ最期の花道である。」p252

『大介護時代を生きる 長生きを心から喜べる社会へ』

樋口恵子 2012年刊行 中央法規出版株式会社 1600円

「日本社会の根底を変革せざるを得ない超高齢社会の最も具体的な結果のひとつが、大介護時代である。」p80

「介護を中心とするケアは、普遍的な長寿社会にあって、社会形成の重要な柱であり、人と人のつなぎ目である。-中略- あえていえばケアこそ人間の絆の原点である。」p82

「長寿がもたらすひとつの祝福すべき変化は、1世紀にもわたる異世代が直接に出会うことが可能だということだ。こんなにコミュニケーションがタテの多様性をもった時代はかつてない。こんな超高齢社会の到来を、人間にとって変化の好機ととらえ、問題に向き合う。それが私たちに向けられた時代からの挑戦である。」p228

『穏やかな死に医療はいらない』

萬田緑平 2013年刊行 朝日新聞出版 760円

「穏やかな死に医療はいりません。そして穏やかな死を迎える場所として、自宅ほどふさわしい場所はありません。病院は病気との戦いの場です。今の日本において、病院で穏やかに死ぬことはかないません。」p5-p6

「終末期を迎えた人間の身体の状態について、医学でわかっていることはわずかです。とくに亡くなる直前については、ほとんど知られていません。病院の医師たちも知りません。彼らが知っているのは、治療を続けて亡くなっていったケースだけです。」p7

「「老化」は死へのソフトランデイングです。体から余計な荷物をおろしているのです。「終末期モード」「老衰モード」に入ると、この「荷物おろし」が顕著になります。ほとんどの患者さんは食欲がなくなり、食べられなくなります。それは確実に死に向かっているサインであり自然な命の営みなのです。」p41

「在宅診療医が本来の緩和ケアの意味を理解せずに治療ばかりに頼っていると、患者さんの心と身体は苦しくなるばかりです。さらにご家族の心のケアができていないと、苦しむ患者さんを見かねたご家族が救急車を呼んでしまいます。 -中略-
 在宅緩和ケアは治す医療だけではなく、患者さんとご家族の心を診る医療です。死を受け入れる大切さ、最後の日まで生きることの大切さを、時間をかけて患者さんやご家族に理解してもらいます。」p105-p106

「自宅で自分らしい死を迎えるためのチェックシート」がついています。

「死にゆく人の看取り」

平松和子 『死から生を考える-「新死生学入門」金沢大学講義集-』
細見博志(編) 2013年刊行 北國新聞社 1700円

「死にゆく人は全人的な痛みを持つといわれている。全人的な痛みとは、身体的苦痛、精神的苦痛、社会的苦痛、スピリッチュアルな苦痛(霊的苦痛)である。-中略- (スピリッチュアルな苦痛とは)人生の意味への問い、苦しみの意味、罪の意識、死の恐怖、死生観に対する悩みなどをさし、人の根源的な苦痛と考えられる。-中略- スピリッチュアルな問題は、解決を求めるというより、この問題に向き合うことで、人生を振り返り、生きる意味や存在の意味を見出したり確認することになる。」p205-p206

「死にゆく者」

中川米造 『岩波講座 現代社会学第14巻 病と医療の社会学』
1996年発行 岩波書店 2040円

「病院は治療の場であるという役割からすれば、死は治療の失敗あるいは敗北を意味するので、死を迎えさせる技術はもちあわせていない。とくに近代的な病院では細分化された専門化によって、病者ではなく病気をみるという対応様式をとっているために、個人にとって全人的な意味において恐怖を生む死への対処は本来出来ないのである。」p190

「死を看取る者たち」

若林一美 『岩波講座 現代社会学第14巻 病と医療の社会学』
1996年発行 岩波書店 2040円

「死別に伴う悲しみは、刻々と変化し、ひとつの型にはまるようなものではないし、手順をふんでいけば、必ず正解にゆきあたるというものでもない。遺族たちの話を聞いていて感じるのは、悲嘆の苦しみから抜け出す方法は、悲嘆とともに生きていく覚悟を決めたときのような気がする。」p218-p219

『家族を看取る 心がそばにあればいい』

国森康弘 平凡社 2009年発行 740円

「看取るとき、肩を抱き手を握っていると、なんとも言えないぬくもりが自分に伝わってくる。肉体的なぬくもりだけでなく、心の隅々にまでその温かみが染み渡る。そして旅立つ人の顔が帯びてくる穏やかな輝きを、周囲が受け取る。死は怖れるものではなく、先に逝く人が代々蓄えてきた、その温かな生命力を看取る者に渡す、幸福感に満ちた瞬間です。」p31

「死を怖いと思っていたけれど、実際に看取ってみると怖いものではありませんでした。言葉で表すのは難しいけれど、すーと逝く感じで安らかに魂が抜けていく感覚が分かった。母が残してくれたものを受け取りました。」p32